朝30分のウォーキングで街歩き

今朝は少し涼しかったので、駅まで歩いて通勤することにしました。街のなかを歩いて、約30分のウォーキングです。このところ続いた暑い日には、さすがに歩くのはシンドイので、クルマにしたり、バスに乗ったりしていました。

朝のウォーキングで、街を歩いていると、いろいろな風景が目に入ってきます。とくに街がこの20年の間に大きく変貌してきているのが感じられます

1 多くの商店が、もうながらく空き家になっています。かつて賑やかな商店街だったところは、シャッター通りとなっていて、この20年ほどで大きく人の流れも変わりました。

2 結婚式場がなくなって、葬祭場になった、というのは、まるでブラックジョークのようですが、実際にそうなっています。かつてコンビニだった建家は、いつの間にか家族葬専門の小さな式場になりました

3 マンションが建設中でした。そこにかつてなんの店があったのか、よく思い出せません。無くなるとすぐに記憶からも消去されてしまうのでしょう。かつてどこの町にもあった小さな電気屋、家具屋、玩具屋、呉服屋、喫茶店などがなくなりました。ちょっと素敵な喫茶店はなくなって、全国チェーンのコーヒー店になりました。

4 駅前にあった書店はとても懐かしいところでした。新書や文庫本が充実していたし、高校の頃は電車とバスの時間調整に立ち読みしてました。その昔はレコードも売っていて、当時流行っていたフォークはこの店で聴いた記憶があります。書店が閉店した後しばらく更地になっていましたが、今は全国チェーンの居酒屋になっています

5 かつてあちこちにあったガソリンスタンドが少なくなりました。近くのスタンドの跡地はスマホの販売店になっています。ガソリンスタンドもいろんな石油会社のスタンドがありましたが、今では統合されて数が少なくなりました。それから、夫婦でやっているような小さなガソリンスタンドがあり人気がありました。そこは、安いだけでなく、フルサービスで洗車無料、いつも混んでいました。しかし、その後、看板が変わり、洗車は有料化され、セルフとなりました。

6 街のなかのバス停のそばには、小さな肉屋がありました。威勢のいいオジサンが店頭で焼き鳥を焼いていました。店を改装したときに、ちょっと気合をいれて横文字にしたのでしょう。でも、「ミート」のスペルがmeat じゃなくて、meet になっているのは、ご愛嬌でした。誰も教えてあげなかったのでしょうか(笑) 空き家の店舗の前に来ると、あの焼鳥の臭いを思い出します。

7 成人式のときに、初めてスーツを母親に買ってもらった地元の洋服屋さんがありました。バブルのころには、支店を出したりしていましたが、その後に倒産してしまいました。郊外に出来た大手の洋服チェーンが進出して、客が移ってしまったのでしょう

8 最近目立つのは、住宅地のなかの空き家です。庭には雑草だったが生い茂り、かつて、そこに人が住んでいた痕跡だけが化石のようになっています。近くに豪邸がありました。そこにはバブルの頃には真っ赤なボルボが止まり、目立つ存在でした。大谷石の塀に囲まれた鉄筋コンクリートの邸宅は、パチンコ屋のオーナーの家とのウワサでしたが、その後、ボルボは見えなくなりました。さらに、草木は伸び放題になり、震災で壊れた壁も放置され、明らかに空き家の雰囲気になっていました。そこに、最近になって、重機が入り、解体工事が始まりました。今ではスッカリ更地になっています

9 東日本大震災で茨城は震度6強の激しい地震が襲い、高さ数メートルの津波も押し寄せました。その時、被災した建物のうち、古いものは取り壊されました。現在は駐車場になっています。もうかつて何がそこにあったか、解らなくなってしまいました。

東京などの大都市に住んでいると分かりませんが、地方都市の経済はいずこも大きく落ち込んでいます。それを実感する朝のウォーキングです。

歩き始めたとき、気温は高くなくてよかったのですが、まるで梅雨のような湿度があって、駅まで30分歩くと、汗だくになりました。

今年はじめから歩くようになって、体重も減りましたし、健康診断の数値もすべて良くなりました。今日はできたら帰りも歩いて、往復で合わせて1時間のウォーキングにしたいものです。

帰り道に、小さな書店に立ち寄って、ちょっとひと休みしましょう。その本屋には雑誌くらいしかないのですが、冷房がきいています。

それに、この小さな本屋には思い出があります。かつて子供の頃に入院したとき、本屋の主人が毎月、病室まで少年雑誌を配達してくれました。「少年」「少年画報」「冒険王」「ぼくら」、、、退屈な入院生活に、そうしたマンガを読むことは唯一の楽しみでした。その本屋に入ると、何十年も前のことを思い出してしまいます。

書店の経営は厳しいのでしょうが、できたら続いてもらいたいものです。